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2004年6月の27件の記事

2004.06.29

現実

 ふと、ひとり暮らしがそろそろ人生の半分くらい続いていることに気付いた。

 もう一生このままなのかな。

 すごい絶望感。

2004.06.28

ふと思ったこと

 女性って楽しいのだろうか。

 僕は男だから男性の心理は分かるんだけど、男というのは何かに夢中になっているとき、文字通り童心に返っている。真性ヲタクの殆どが男性であることからも裏付けられる(非科学的に 笑)。

 誰もが子どもだったことがあるわけだから想像できると思うけど、子どもの頃の遊びってホントにそのことに夢中で楽しかった。「楽しい」という状態の最上級が子どもの遊びだろう。そして不思議なことに男というのは、大人になってからでも自分の好きなことに熱中している時に、子どものその精神状態にかなり近くなれる。

 でも、僕の知る限られた範囲においては、女性が童心に返るほどに何かに熱中することは無いように思う。それよりは、その場における役割を果たすことに充実感を得ているように見える。

 そもそも女性は腕力を除く全ての能力で男性を上回っているから(社会的制約から発揮できていないだけで)、男のやることが子どもっぽく見えているだろうし、しかも女性は母としての能力も生まれながらに(?)持っているから、そういう意味では支配的でさえある(ちょっとユング心理学的な見方)。子どものやること、男のやることは全てお見通し、という感覚があるんじゃないだろうか。

 それはそれで構わないんだけど、それだけで楽しいのかな、疲れないのかなとも思う。たまには子どもの目線まで降りてみるのも、新しい発見・リフレッシュになるんじゃないかな。

2004.06.27

笑いがいちばん!

 やっぱり元気で楽しいのが一番良いな。

 次に最初に僕に会った人には、ギャグ連発で笑わせつづけちゃうよ! 早いもん勝ち!!

まっすぐ

 NHKドラマ「もっと恋セヨ乙女」最終回の倉沢の告白はとても迫力があった。前作でフられて以来ずっと見守りクンだった倉沢が、その燻り続けた気持ちを最後の最後に幸子にぶつける言葉、その一つひとつが自分にも迫ってきた。果たして自分はこんなに一生懸命になっているか。

 昨日聴きに行ったクラシックの演奏会の第二部は、8月に上演されるオペラの抜粋だったけど、その非日常的な朗らかさは鬱々としていた気分に少し明かりを灯してくれた。

2004.06.24

熱い!

 女子レスリングの浜口京子選手のお父さん、アニマル浜口さんすごくいい!

 僕もあんなふうにまっすぐ、熱く、優しい人間になりたい。

2004.06.23

年齢

 職場の健康診断で、はじめて胃のレントゲンを撮るかどうかたずねられた。あのバリウムを飲むやつだ。

 胃のレントゲンを撮るのは中堅以上の年齢と思っていたのに、ついに今年から僕もその年齢群に含まれるようになっていたんだ。精神的にはまだまだ未成熟なのに、社会的にはもうすっかり大人に見られているんだと実感した。

 それならもう少し給料くれ! って言いたいよ(苦笑)。

 結局、心の準備ができてなかったので胃のレントゲンは撮らなかった。

信用

 一度失った信用を取り戻すのは簡単なことではない。それが、何度も何度も繰り返され、周囲を巻き込んだ嘘であればなおさらだ。

 信用したくても、こちらにもそれだけの判断力が残っていない。

 嘘でないと主張する方、それを聞かされる方、どちらにとっても辛い時間が過ぎてゆく。

 僕が基本的に人間不信なのは、肉親にそういう嘘をついてきた人がいるからかも知れない。

 いつかはこの壁を乗り越えられるのかな。

『罪の花−発芽』

僕は生まれながらの罪人

僕が生き長らえることで
 その分の酸素を吸い二酸化炭素を吐き
 食料、そのほかの資源が無駄に消費される
地球の二酸化炭素濃度は上がる一方だというのに
僕などより他に 食べ物に困っている人がいるというのに
資源はより有効に使われるべきなのに

歩くだけで 靴底の虫・微生物が死ぬ
本を買えば その本を欲しかった誰かが読む機会を失う
言葉を発せば 聞くものを傷つける

生きることそのものが罪である人間にとって 死を選ぶことも罪なのだろうか
剃刀に訊ねた 僕の血は他の人と同じように赤かった

2004.06.20

休日

 泣き疲れて、何も考えられない。からっぽ。

 でも、なんとか今日を乗り越えれば、明日からはがんばれるかもしれない。

2004.06.19

ぼっぼっぼー

ぼうりんぐぅー♪

 職場の何とかいうボウリング大会に参加。元々ほとんど人付き合いでしかボウリングをしないし、前回やったのがもう何年も前という状態なので、事前にこのサイトで予習しておいた。

 その甲斐あってか、なんとか3ゲームとも100点を下回らずに終えることができた。よかったよかった。

 その後、職場の人と飲み会・カラオケ。普段は自分が早く帰ってしまうこともありなかなか職場の人と飲む機会が無いので、ここぞとばかりに交流した。楽しかった。よかったよかった。

な〜んか

 他人の嘘に一喜一憂するのがバカらしくなってきた。

 自分は自分、どうせバカならバカ正直に生きるさ! 生きるさ生きるさ生きるさ生きるさ! バーチャルじゃなく、リアルで!
(なんか、落ち込むたびにこんなこと書いてる気もするけどな)

 でも、ユーモアとしてのウソはどんどんついていこう。人を傷つけるんじゃなく、金儲けのためでもない、ちょっとしたこころの遊びとしてのウソをね。堅苦しいだけだと、回りを疲れさせちゃうし。

 ただし、信頼できる人にだけ。

2004.06.18

世の中嘘だらけだ

 2004/6/18の日記、異性と関わる機会に恵まれないファンを馬鹿にしてる。

 LONELY★WILDはうそっぱちだったのかよ。札束チンコ野郎!

 映画の宣伝なら、もう少し頭使えよ。

おしっこ

 僕はお酒を飲むと小便がすごく近くなる。世間的にはこれはお酒が強い証拠のように言われるけど、僕の場合はこうなっても後から(大抵は家に帰り着いてから)とっても頭が痛くなる。

 今まさに、これからそうなる予感…。取り敢えず水分をたくさんとって、アルコールが脳に回らないようにしよう(苦笑)。

2004.06.16

これも分散処理?

 職場の事務的作業をパソコンに移行させるために、そのシステム作りをするのも僕の主な仕事。現在はいくつかの案件が同時進行しているので、午前中はA案件のプログラミング、午後3時から2時間はB案件のプログラミング、その間に定型の作業なんていう風になってる。

 分散処理とは一つの課題に対して複数のコンピューターが分担して処理することだけど、僕の場合は逆に複数の課題をひとりで受け持ってる。能力が分散されてるわけだ(笑)。

キル・ビルVol.2

 Vol.1に続いて映画『キル・ビルVol.2』を観た。Vol.1の「復讐」から一転して、まさに邦題サブタイトルの「ザ・ラブ・ストーリー」という作品だった。以下、内容にかなり触れてます。

 描写そのものはVol.1のようなハチャメチャ大量暴力シーンはなくなり、残る復讐相手とのじっくりしたやり取りが主になっていた。ただし主人公ザ・ブライドの凄さ、相手の抜け目なさは前作で描かれているので、今作ではただ相対しているだけのシーンでも、そこにみなぎる緊張感は相当のものだった。そもそも出来上がった長い一本の作品を、カットして短くするか二本に分けて上映するかが検討された経緯があるようなので、こういった描写の連続性は当然なのだろう。

 そして最後の復讐相手、結婚式を迎えたザ・ブライドの惨殺を行ったビルに対する。そこでビルがザ・ブライドを殺そうとした動機が明らかになる。それは愛するものが突然姿を消した絶望から醸造された感情。さらに惨殺後にザ・ブライドを失ったことで味わう後悔。ビルはザ・ブライドの(そして自分の)生き残った娘を良心的に育てていた。そういった諸々を受け止めた上で、ザ・ブライドは最後の最後に五点掌爆心拳を放ち、ビルはたおれる。翌朝、娘を取り返し、泣き笑いしながら神にでもお礼するように「ありがとう」を連呼するザ・ブライド。

 しかし、果たしてビルは本当に死んだのか。そもそもザ・ブライドの五点掌爆心拳は本当の技なのか。ビルはザ・ブライドを殺害(死んでいなかったわけだけど)してから後悔した。その時にザ・ブライドを愛していることを知った。だからこそ残った娘をきちんと育てることができたのではないか。そして最後のやり取りの中で自白剤の効果もあってお互い、本当は双方を愛していることを確認したのではないか。それでもザ・ブライドの復讐心が完全に消えることはない。そこでお互いに最後の勝負を演じて、必殺技の五点掌爆心拳でビルは死に、ザ・ブライドと娘は自由の身になる。

 ビルにとってそれはザ・ブライドと娘を手放すことになるけど、それが今のビルにとっての最大級の愛であり、ザ・ブライドにとってはビルが死ぬことのできる技を使うことで彼を生かすことが、愛と復讐心を両立させる唯一の手段だったのではないか。最後の「ありがとう」はビルに向かって言っていたのではないか。

 このクライマックスこそがザ・ラブ・ストーリーなのだ。

 このラブ・ストーリーを成立させるためには、五点掌爆心拳というマンガじみた必殺技に説得力がなければならない。全てはここに至るまでの必然だったのだ。タランティーノ監督の創造力恐るべし。

2004.06.13

ちょっとがんばった

 トイレ掃除の続きをした。

 残り半分を大体済ませて、洗剤では落とせないくすみ(カビ?)をメラミンスポンジで磨き落とすことにしたんだけど、天井部分を八割程度終わらせたところで挫折。ずっと上を向いて天井を磨くのは体力の限界を超えました…。

 でも最初の掃除前から比べると見違えるように綺麗になった!

2004.06.11

自分へ

 がんばれがんばれ。

2004.06.09

合唱団

 今年も地域の合唱団に参加することが決まった。

 毎年、本番終了直後にはとても満足なんだけど、その一方で色々と悔いも残る合唱。今回はしっかりやれるかな。

 本番は12月5日!

2004.06.08

迷惑メール2

 @niftyの迷惑メールフォルダーを利用するようになって3ヶ月経った。下の画像がその様子。だいたい通常メール5:迷惑メール3の割合だ。

mf040609.jpg

2004.06.07

いつものこと

 スーパーでいつも優しいレジの女性の苗字がかわっていた。

飽くまでも仮説

 こういうことを軽々に語るのは良くないのだけど、テレビのニュースやポータルサイトのニュースコーナーで触れられる範囲の情報で、ひとつ思い当たったことがあるので記しておく。

 佐世保の少女殺傷事件の加害者が、なぜそれまで仲の良かった友人を死に至らしめたのか。もちろん色々な理由が積み重なった結果だから、これが全てということではない。でも「なぜ殺したか」という最も重要な部分の心理を理解する一つのヒントになる仮説だと思う。

 加害者は5年生の後半くらいから、色々な行き違いで仲間から疎外されているような感覚を持っていたらしい。実際にいじめのようなことが事実としてあったかどうかは分からないけど、少なくとも本人の意識にはそういう実感はあったのだろう。そういった感覚(ストレス)への反動として、攻撃的な行動様式を獲得していったように思う。

 そして最近の、現実やネット上での様々な出来事で対人関係のストレスがかなり高まった状態になったとき、その攻撃性(あからさまな暴力ではなく、もっと内に秘めたもの)の対象として生贄が必要になったのではないだろうか。

 ここで注意したいのは、生贄といっても文学や小説で描かれるようなオカルティックなものではなく、もっと現実的なストレスのはけ口のような存在に近い。そして加害者本人が意識的・自覚的に生贄を欲していたわけではなく、どちらかといえばストレスを内在した無意識の力が、まだ未発達な判断力に勝った結果としてこういう事件を引き起こしたのだ。そしてその時の無意識に支配された本人の判断力は、もともと最も仲が良く、しかし最近は最も本人のストレスの原因となっている友人を、その犠牲者として選んだのではないだろうか。
(無意識とは意識の無い状態ではなく、こころの中の自覚できないながらも本人の行動に影響を与えている部分)

 被害者は加害者のストレスの原因になっている。そして、その被害者が最も仲が良い友達であれば生贄を引き受けてくれる。と無意識に支配された甘えの感情が、殺害という行為を正当化したのではないだろうか。

 こう考えると「よく考えればこんなことはしなかった」と伝えられる加害者の言葉の真意も理解できるし、その後の被害者に対する罪の意識が正常なものであることも想像できる。

 もしこの仮説が妥当であったとしても、加害者の精神に問題があるとはいえないことにも十分注意する必要がある。

 尊い命を失った被害者の人権と同様に、今後、加害者のこころも十分ケアされなければならない。

2004.06.06

創造の瞬発力

 NHKのトップランナーに布袋寅泰さんが出演。話や今まで見たことの無い写真も興味深かったけど、スタジオライブで、実際にその場で音楽を制作するところをそのまま実演したところが面白かった。

 雑誌の記事などで読んだ布袋さんの音楽作りの手法がほぼそのままだった。番組中では2種類用意してきたリズム・パターンのどちらがいいかをスタジオのお客さんに選んでもらい、そこにさらにお客さんに決めてもらったコード進行をのせてキーボード、ベース、リズム・ギターをダビングしていく。そして最後にリード・ギターという感じ。これらの作業をコンピューター・オペレーターと二人でどんどんこなしていく。

 残念ながらここでワンピースにチャンネルをかえてしまったけど再放送が木曜の深夜にあるので今度はビデオに録画しておこう(日曜日の夜7時半は同じNHKの火の鳥をビデオでとっているのでこの時間のトップランナーはとれなかった)。

 番組中や雑誌等でも布袋氏が言っているのだけど、このようにコンピューターの力を借りて発想をどんどん残せるようになった現状を評価していた。

 吉井宏さんのサイトでも毎日の日記に作品をアップしつづけている。どれも大規模ではないけど、単なる落書きを超えた品質のものばかりだ。

 こんな風に尽きることの無い創造力で作品をどんどこ作りつづけられる人はホントにすごい。そして、この作品作りにコンピューターが果たしている役割も大きいと思う(もちろん布袋氏も吉井氏もギター一台、鉛筆一本でも十分素晴らしい表現ができる力があるのだけど)。

 僕自身、高校生くらいの頃にパソコンのタッチ・タイピング(キーボードを見なくても文字入力できること)を覚えたからこそ、いま苦も無くそこそこの文章を打つことができるけど(内容は別にして)、手書きだとこうはいかない。僕は特に書くのが遅いので、どんどん思いつく割に書き残すことができない。パソコンがあるからこそどうにかここまで書けているんだと改めて思った次第。

Winnyについての区切り

 ずいぶん続けた話題だけど、起訴・作者の保釈と一区切りついたので、ここまでの流れについて僕の考えに近い考察をメモリンク

 とはいえ全く同意できるわけではなくて、2)については単なる無罪ではなく、それなりに「配慮に欠くことをした」ことを自覚できる結果を(短い執行猶予のついた有罪とか)。ただし、この判例をもって「ほう助」による逮捕が安易にされることがあってはならない(虫の良すぎる望みかな)。

 そうあって欲しいのは、この領域(著作権)に関する法的・社会的整備が現実にそぐわなくなってきている現状で、権利侵害に対して何の歯止めも無くなることへの抑止となることを期待しているから。そして次の段階として法的・社会的整備が必要。

 ほう助による逮捕は基本的によっぽど極端な事態を招いている場合に限るべきだと思うので(でないと何をしても・しなくてもほう助になってしまう!)、この件が有罪であっても、今後その適用には慎重であって欲しい(Winnyはいろいろ見る限り極端な事態を引き起こしたと言える思う)。


 これまでのところ、擁護派の意見の多くは「法に触れなければ(或いは見つからなければ)何をしても構わない」という風に読めるんだけど、僕はそうは思わない。法律も全ての事態を完璧には想定できないし、未来の社会形態にも対応できない。だから法律に書かれていなくても、住みやすい社会を維持するためにはそれなりに他者への配慮は必要だよ(飽くまでも「配慮」の話であり、法律に書かれていないことで逮捕があってはいけない)。


 ちなみに「何をしても構わない」と考える人には、即物的で底の浅いタイプが多いように思う。本人は自分の判断力にスピード感を感じて心地よいかもしれないけど、後に何も残らない消費的な人生を送っておしまいの様な…。それも一つの生き方ではあるけど、そういう人が多数派になると「地球の食いつぶし」が加速されるようで怖い。それでは真面目に環境問題なんかを考えている人たちがバカを見るようであんまりです。

2004.06.04

図書館

 久しぶりに仕事帰りに大学の図書館に寄ってパソ打ち作業。

 卒業以後、何かと利用するだろうと毎年卒業生利用者証を更新しているけど、ここにこんなにじっくり腰を落ち着けるのは公務員試験の勉強をしていた数年前以来だろうか。そっちは結局準備不足で結果が出なかったんだけど。

 で、先日の覚醒によってまた自分のやることをやるために図書館を利用することにしたわけ。自分の部屋に戻るとどうしても気が緩むからね。

 これからも週に2、3回は通うことになるかな。

2004.06.03

とりあえずメモ

 @nifty:NEWS@nifty:改正著作権法が成立、邦楽CDの逆輸入防止(読売新聞)

 音楽家、音楽ファンの双方にとって不利益にならないよう、今後の推移に気を配ろう。取り敢えず付帯決議によって一応の過剰規制措置が防止された格好か。

年金法案

 ニュースで流れている、法案の委員会可決の場面で最初にバタバタと議長(委員長?)に駆け寄ったのは何党の誰? あれで騒然となって審議を打ち切るように採決を取ったということなのかな?

2004.06.02

寝る〜

 サッカー日本対イングランドの試合をテレビ観戦。こんな変な時間に中継があるせいで、昨晩帰ってきてからの時間調整が大変だった。しかも夜もU-23の試合あったし。

 でもそんな困難を乗り越えて観る価値があった試合だった。序盤のイングランドの怒涛の攻めに、果たして日本はどのくらい持ち堪えられるかと心配したけど、オーウェン選手による1点に留めて、しかも試合の半ば以降は日本がボールを支配してゴール前まで攻めるシーンも多く作っていた。

 そんな中、このところ良いところのなかった中村選手から三都主選手、そして小野選手までダイレクトでボールが回ってゴール! 1−1の引き分けで、十分評価できる結果だ。ベッカム選手のフリーキックのゴールが見られなかったのはホッとしながらもちょっと残念だったけど(笑)。

 このイングランド遠征は日本代表にとってとても有意義だったと思う。就任から今年の初めくらいまでそのチーム作り・采配が疑問視されていたジーコ監督も、チェコ戦とこのイングランド戦でかなり手応えを感じているだろう。観ている方にも、ジーコ監督がどういうチーム作りを目指しているのかかなり伝わってきたんじゃないかな。僕はどちらかというとジーコ支持派だったんだけど、それでも強豪相手にもここまで自由にボールを回せるほどになるとは予想していなかった。

 気になるのは終わりの方の稲本選手の怪我と、中田英寿選手の位置付けかな。中田選手がいなくて、日本代表がのびのび・堂々とプレーしていた印象があるんだけど…。

 もう少し中田選手抜きで試合を続けてチーム内の自信が強固なものになった上で、中田選手が改めてそこに溶け込むような感じになるといいな。

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