+×+×+×+

  • Googleで検索します。
  • アルバム
    NATURAる写真
     フジフイルムのコンパクトカメラNATURA NSで撮った写真をまとめてます。
無料ブログはココログ

« 2004年10月 | トップページ | 2004年12月 »

2004年11月の35件の記事

2004.11.30

04/11/30の記録

焦ったこと
 月末処理を一通り終えた後、各支社へ送る書類をそろえた後で伝票を出してきた人がいて、配送便集荷の時間までに書類を作り直した。

良かったこと
 それでも何とか月末処理を時間内に終えた。ほっとした。
 合唱練習の後の飲み会で、ジョークが結構受けて場が盛り上がった。みんなで楽しく過ごせるのはホントに気分が良い。

悪かったこと
 合唱練習でトレーナーの先生の指導が他のパートばかりで、自分のパートに回ってきた頃にはせっかくの喉のウォーミング・アップから大分経ってしまい、なかなか思うような声が出せなかった。ちょっとイライラしてしまった。
 発売日から少し経つのに、未だにRolandのデジタル・レコーダーR-1が手に入らない。合唱も本番になってしまうので、ここまでくるともう買う理由がなくなってしまう。

2004.11.29

スイスイSuica

 数年前からサービスの始まったJR東日本の非接触式プリペイドカードSuicaで普通の買い物もできるようになってどの位経つのかな。でも普通の買い物といっても当然Suicaに対応したお店でないと駄目なので、僕は一度も使う機会が無かったし、それで全く不便も感じない。
 それに買い物には発足当時のSuicaは対応していなくて、最近のペンギンの絵の入ったものでないと使えないから、オレンジカード代わりに使い始めた僕のカードは対応していない。Suica定期券は一定期間ごとに交換するのかな。それなら交換時に切り替わっていると思うけど、残念ながら僕の通勤経路は私鉄と地下鉄だけなので、Suica定期券は持ったことがない。
 そこで、古いSuicaは無料でペンギンSuicaと交換してくれるから、買い物に使う機会がないにしてもそのうち取り替えたいなあと思っていたところ、一部の自動券売機でも可能だと分かった。その交換対応なんて書いてある券売機が最寄駅にもあったので早速交換した。そんなに難しい手間もなく、古いカードを入れて交換を指示すれば残金も利用履歴も保持したまま新しいカードになった。実は履歴は交換前に印字しておかないと駄目かなと、古いカードが券売機に吸い込まれてからちょっと焦ったんだけど、新しいカードで履歴印字ができてホッとした。
 果たしてこれで買い物をする時が来るかどうかは分からないけど、ちょっぴり楽しみが増えた。

2004.11.28

父の仕事の思い出

 昼間、先日DIGAに録画しておいたNHK「にんげんドキュメント 全国トラックドライバーコンテスト」を見た。

 僕の父は、祖父が亡くなるまで大型長距離トラックの運転手をしていた。まだ僕や弟が小学生の頃は、夏休みになるとトラックで遠くに連れて行ってくれた。特に観光地を回るわけでもなく、ただ出荷地で荷物を載せ目的地で荷物を降ろす。その行程にくっついていただけなんだけど、家には週に二日くらいしか戻ってこない父とずっと一緒にいて、父の働く姿を見られるので結構楽しかった。
 長距離トラックというのは、荷物の引き受け方にもよるけど、僕たちを連れて行く時には前日のうちに荷物を積み家のそばにトラックを止めておいて、まだ暗い早朝に出発し、あとはひたすら高速道路を走り続ける。特に首都高を経由する場合は、混まない早朝の時間帯に東名などに抜けておかないと目的地への到着がすごく遅れる。目的地(中国・四国・九州方面が多かった)に着いたら荷物を降ろし、空のまま戻るわけにはいかないので、そこから近い次の荷主の元に向かい、関東方面への荷物を載せて戻ってくる。この繰り返しだ。
 だから、今はトラックに乗る機会は無いけど、高速道路では大型トラックが一番格好良く見える。夜中の高速道路をひたすら走る雰囲気、夜が明けてうっすらと明るくなってくる空、サービスエリアのトイレでの歯磨き・洗顔。道のことや荷物のことを話して聞かせてくれる父の様子。運転室の座席の後ろのベッドとその足元にある男性誌。急に天気が悪くなり急いで荷台にシートをかける手際。

 僕が大学に進みアパート暮らしになってから祖父が亡くなり、家の事が心配になった父は、毎晩帰ってこられるところに転職した。でも本当は父は大型長距離トラックの運転が一番好きだと思う。そして、たとえコンテストに出られなくても、今はトラックに乗ってなくても、父はれっきとしたトラックドライバーだ。

これならまあまあだな

 先週撮影してケーブルテレビの情報番組で一週間流れた演奏会告知の録画を借りた。DVD-RAMに録ってくれたので僕のDIGAで再生できた。DVD録画って思ったより普及してるのかな。

 肝心の内容は、収録直後に自分で思っていたほどグダグダでもなく、声もまあまあ出てちゃんとしていた。良かった良かった。でも自分の姿をテレビで見るのって恥ずかしいね。

※ 撮影したときの様子は、このブログと供に公開しました。

2004.11.27

MSGSD 07 混迷の大地

(MSGSD=機動戦士ガンダムSEED DESTINY)
 先週までのユニウスセブン落下テロに対してシンの抱く感情がよく分かった。そしてシンの人格に、家族が戦争の巻き添えになった事が想像以上に強烈に影響を与えているのがかなりはっきりした。彼にはアムロやキラの様に成り行きでガンダムに乗る羽目になったのとは違う強い意志を感じるし、その直接の動機・経緯は能動的なのだろうと思う。戦争を嫌っているはずなのになぜガンダムに乗っているのか、その辺りがまだ描かれていないのがこれまでのシリーズと違うところだ。
 そのシンの性格を対比的に描写するためか、コーディネーターについて言い合うシーンのカガリはちょっと感情的で頼りなかった。こんな人が首長国連合の代表だったら嫌だよなぁ。でも、それによってシンの「やめろよこのバカ」というすごいセリフが出てきて、見ている方に彼の性格が直接的に伝わってきた。最後の方でミネルバがオーブに向かう事についての艦長とのやり取りがそこそこ威厳を保っていたのはその演出上のフォローだろうか。これが無かったらホントに心配になってしまう。(苦笑)
 射撃練習のシーンでは、ミネルバのMSパイロット達にとってアスランがどういう存在なのかもはっきりしてきた。そして彼がオーブとザフトの間で微妙な位置に居続けていることも分かった。もちろん表向きは名前を変えてオーブに居るわけだけど、ザフトでも少なくとも脱走兵として悪くとらえている人ばかりでもないようだ。ジェンキンスさんが米軍にとって完全に脱走兵扱いなのに比べると、いかにもアニメ的(そうでないと話が成り立たないし)。
 それにしてもアスランの銃は上手く描き過ぎだ。草薙素子よりすごいんじゃない? MSパイロットなんだからもうちょっと普通の方がリアリティがあると思うんだけど。

 ユニウスセブンの破壊には一応成功したけど、破片は地球上のあちこちに降り注いで大きな被害をもたらした。その描写における地球は今とあんまり変わってなかった。C.E.73って今からどの位先の未来という設定なんだろう。あるいは別の地球と考えた方がいいのかな。

 デュランダル議長と一緒に居た、透明なチェスの駒を触っていたのはやっぱりラクスだろうか。だとしたらデュランダル議長がオーブと、或いは逆にラクスがザフトと裏で繋がっているということ? そして最後にキラのセリフ。彼は心神喪失の状態ではなく、争いを避け静かに暮らすことを選んだだけなのかもしれない。物語が進むにつれそんな彼がまた戦いに巻き込まれていくのか、自ら戦いに身を投じるのかな…。

2004.11.26

うい〜

飲みすぎた〜。
もう新宿直通の電車ないじゃん。秋葉原で山手線に乗り換えかよ!
@錦糸町

0:33追記
 アパートに帰着。
 今晩は職場のちょっとしたボウリング大会&飲み会なのでした。上記の電車の目的地が新宿なら御茶ノ水乗換えでも良いんだけど実際には池袋が目的地なので、錦糸町からだと秋葉原で山手線に乗り換えた方が良いのです。うい~。

2004.11.25

画像データの管理

 僕はキヤノンのデジカメを使っているので、画像データ内のExif情報が見られることもあって付属の画像管理ソフトZoomBrowserEXを使っている。先日これが5.0にバージョンアップされた。デジカメ購入時から二度目のメジャー・バージョンアップ!
 大まかに言えば、PC内の画像ファイルの一覧や選択した画像の情報(ヒストグラム含む)を詳細に表示したり、簡単な加工や登録した画像ソフトの起動・データ編集を行うソフトだ。
 今度のバージョンでやっと好きなフォルダーを登録する機能が付いたので、見たいフォルダーを切り替えるのが楽になった。以前使っていた富士フイルムのデジカメに付いていたExifViewerというソフトには最初からフォルダー登録機能があったので、常にマイコンピューターからのツリーを辿るしかなかった前バージョンまでのZoomBrowserExで最も不便に思っていたところだ。あと同じくExifViewerはローカル・ネットワーク上のファイルも閲覧できたけど、ZoomBrowserEXでもようやく対応した(ネットワーク・ドライブとして認識していないと駄目だけど)。
 その他、前バージョンのいかにもWinXPっぽい感じから画面デザインの無駄がなくなり、プレビューがかなり高速化されたことも相まって見易さ・操作し易さが向上している。幾つか細かい機能も改善されて、中でも縦位置で撮影した動画を倒せるようになったのが有り難い。だたし出力できるファイルは横長サイズだけなので、縦位置で撮った動画は左右に大きく黒い領域が出来てしまうけど。
 全体的に、ただの専用画像ビューワーから画像データ全般を扱える統合環境のような感じに進歩した。IrfanViewの様な汎用ソフトを使っていると機器の付属ソフトを軽く見る傾向もあるだろうけど、ZoomBrowerEXに関しては単なるおまけソフトの域を越えて十分実用的に使える。
 これで、ドライブ間のフォルダ・データの移動も出来るようになると画像の整理が更にし易くなって良いんだけどな(現在はドライブ内なら移動できるけど、ドライブが異なるとコピーと削除が必要)。

 ついでに、余り知られていないみたいだけどキヤノンはその他にも自社製品用のフリー(?)ソフトをいくつか用意している。例えばEasy-WebPrintはIEのツールバーとして動作して、IE標準の印刷オプションに関わらずより高度な印刷ができるようになる。ダウンロードはこちら

 キヤノンに限らず、もしおまけだからと放置しているソフトがあったら一度じっくり使ってみると良いと思う。意外に使える機能が付いていたりするから。

2004.11.24

「日本語力」低下

 この「日本語力」低下(産経新聞 いずれリンク切れになる可能性があります)という記事によると、独立行政法人メディア教育開発センターの調査で、「中学生レベルの国語力しかない学生が国立大で6%、四年制私立大で20%、短大では35%にのぼる」ことが分かったという。
 例えば「憂える」を「喜ぶ」と回答した学生が66.7%で、正解である「心配する」と答えた学生が全くいなかったようだ※※

 僕もいつも正しく美しい日本語を使っているとは言い難いし意味を取り違えて使って失敗したことも何度もあるけど、それでもどちらかといえば言葉については保守的な方だ。だから「ら抜き言葉」も本当は嫌い。
 でも「ら抜き言葉」が問題視された頃、肯定派の人たちは言葉は生きもので変化するものと主張していた。そういうことなら今後「憂える」を「喜ぶ」ととらえる人がもっと増えたら意味を変えて良いのか? ぜひその辺りの考えを聞かせて欲しい。と言っても肯定派の人が特に僕のこのブログに直接返事をするわけも無いんだけど、もし本当に自分の主張に信念を持つなら、何らかの機会にテレビなどで見解を意見を述べるべきじゃないだろうか。
 僕は、言葉が生きものであるという考えには反対ではない。だけど、言葉がコミュニケーションの道具である以上、ほんの数十歳の世代間でさえ道具として機能しないほどの急激な変化はおかしいと思う。正しい日本語というものがもっと大切にされるべきだと思う。

※ ら抜き言葉肯定派の人の意見には変化するもの、という視点以外に「受身」と「可能」を言い分けられるから、というものもあった。この意見は僕も一理あると思っている。

※※(PM8:17補足) 表に書かれているパーセンテージは中学生並みと評価された学生の中での回答の割合です。調査対象全体についての割合は記事中には書かれていません。

ごりごりカテゴリー

 ココログには標準でいくつかのカテゴリーが予め用意されている。そして、このウェブログを開設した当初に、これは自分には縁がないだろうとその中のいくつかは記事を書くときのリストに出ないようにしていた。一方で、標準に無いカテゴリーをいくつか追加していた。
 先日CGというカテゴリーを追加した際にリストを改めて確認したら、開設当初に使用しないつもりだったものも結構記事にしていることに気付いたので、それらもリストに出るように設定して、過去の記事を全てチェックしてカテゴリーを付け直しました。

2004.11.23

若い力

 母校の大学祭に顔を出してきた。じっくりあちこちを見て回ったわけではなく、所属していた美術部の展示を鑑賞してきただけなんだけど、部室のあった建物が解体されちゃったりと色々と難しい状況の中で結構頑張っていた(今は拠点なしで活動しているようだ)。
 元々大学の美術部というのは、単純に技術的に上手く描こうというよりは稚拙なりに自分の世界を表現しようとする人が多いんだけど、今年の展示は特にその傾向が強かった。以前、それすらも感じられない、何のためにわざわざサークルに入ってまで絵を描いているのか分からないようなものばかりの時期もあったので、その頃から比べると今年は見応えがあった。
 あと、二年位前からデジカメを利用した作品が増えてきた。画像データを加工してプリントアウトしたりして、ただ描くだけの頃から比べると表現の手法がパソコンによって更に多様化してきたと今更ながらに思った。そういう僕もすっかりデジカメとCGばかりやるようになってしまったし。(笑)
 パソコンを使うことで絵の苦手な人でもそこそこ完成度の高い作品を制作できるようになったので、それが自己表現の自由度を上げているのかなと感じた。
 あ、油絵や水彩のしっかりした作品も当然ながらあったよ。

2004.11.22

今日の落書き

 Shadeのレンダリングについてちょこっとテストしていて案外綺麗なのが出来た。

d041122.jpg
(Shade7.5)

 アーチ状の円柱を発光させてストライプのトリムで輪切りにしたものの手前に透明の球体を浮かべた。下と背面に配置した青い長方形が発光させたアーチにぼうっと照らされていい感じの色合いを出してると思う。
 大域照明にパストレーシングを使うと、発光による明かりは簡単にコースティクスが出るので面白い。

男のデザート

 プレーン・ヨーグルトにはちみつとたくさんのレモン汁をかけて食べる。最後に器に残った汁をぐいっと飲む。すっぱい!

ブラック・ジャック 07 白いライオン

 この話は知らなかった。マンガのブラック・ジャックを単行本で読んでいたのは僕が小学生の頃だったから、もともと全巻読破もしていなかったし、知らない話があっても当然だ。
 Karte02の最後の方でピノコが「動物園! 白いライオン見たい」と言ったのはこの話の軽い伏線だったんだな。

 簡単に言えば、人間の勝手で自然の動物の自由を奪い、慣れない環境で追い詰めることへの戒めみたいな話なんだけど、そんな中でも、飼育員のおじさんの様な限られた条件の中で動物をこころから大切にしている人の存在も丁寧に描いている。
 飼育員のおじさんがひとりで引き受けたライオンの治療費を最終的にきれいに相殺させるブラック・ジャックの見事さにちょっと感動した。
 そして最後に、治療したことでライオンが白くなくなったことへの大量の抗議の手紙にこころを痛めるピノコが、ブラック・ジャックを気遣い、抗議に混じって届いたと自分で描いた白くないライオンの絵を見せる。その優しい気持ちに、こちらまで暖かい気持ちになった。

 細かいところでは、いよいよ手術を始める段になって、治すことでライオンが白くなくなると知ったピノコとしゃらくを説得するブラック・ジャックの表情とセリフの感じが合ってなかったように思えたのが残念だった。

 ライオンはとても可愛らしかった。

苦手なこと

 僕は要点をまとめて手短に説明するのが苦手。

 どうして苦手なのかなぁとつらつらと考えていて、丁寧に分かりやすく説明しようとし過ぎるからかも知れないと思い当たった。相手がその事柄にどの程度の予備知識を持っているのか把握できていない場合、僕は大元から説明しようとするか、ごく表面的な最終的な事象だけを言うかのどちらかにしてしまう。そして大元から説明しようとすると手短には済まないし、最終的な部分だけだとちゃんと理解してもらえない。どちらも不適切だ。

 例えば、職場で誰かが共用パソコンから電源が入っていない共用プリンターに印刷しようとしたとする。当然オフラインだから印刷データは保留状態で印刷リストに入る。と同時にプリンターが「オフラインで使用する」の状態になってしまう。ここから復旧させるには、プリンターの電源を入れオンラインにしてから「オフラインで使用する」の状態を解除して、印刷リストの保留ドキュメントを再開させる。
 以上をその使用者に説明するときに、次からはその人自身で対応してもらいたいと思うとプリンターのオンラインの概念と印刷リストに入ったドキュメントの扱い、印刷失敗時に出るダイアログの意味などを説明したくなる(専門用語をできるだけ使わずに)。でもそうすると手短には済まないから、逆にその場の印刷再開は僕自身がやってしまって、その使用者には「プリンターの電源が入ってるときに印刷してください」とにこやかに言ってお終いにしてしまう。

 ここで全部端折って最終的な部分だけというのは論外として、大元から説明しようとすることを改めて、効率よく説明する技術を身につけないといけないんだ。その為には、普段意識的に避けている各種専門用語を敢えて使いながら話を進めて、相手の反応をうかがって必要に応じて補足する、というのが良いんだろうな。上の例はパソコンについてだけど、これに限らずあらゆる物事に対して同じようにしてしまう。
 相手の理解度を把握しながら効率よく説明できるようにがんばろう。

2004.11.21

贈られた、は扱えない?

某所でトラックバックに送ったタイトルが文字化けしたので、でどうなのかテスト。

続けてることは「我慢する」こと!
何事も辛抱強く我慢していれば、いいこともあるさ!

贈られました

 こびと食堂で名指しで!(笑)

 以前と比べると間のとり方(繰り出すタイミング)がいまいちなんだけど、もうちょっと気分が良くなればもっと楽しくできると思うんです。今はまだ、なんというかこころにつっかえ棒ができているような感じ。
 こればっかりは回りの環境との相互関係によるものなんで簡単には元に戻せないけど、でも自分の心掛けも大事なので日々気をつけるようにしてます。<つっかえ棒

 贅沢しなくとも、毎日朗らかに過ごせれば幸せですからね!

2004.11.20

MSGSD 06 世界の終わる時

 今日のガンダムSEED DESTINYは、何とかユニウスセブンを大きく割ることには成功したけど大気圏突入だ。

 戦いの中で成り行き上大気圏突入という事態になるのは、果たしてファースト・ガンダムへのオマージュなのかパロディなのか。それだけファーストの物語の骨組みが優れていて、舞台を宇宙から地球に移すのに他に考えられないということなのか?
 結局ユニウスセブンを落とそうと考えたのはザフトの右翼集団ということで、それ以上の背後の組織は無いのかな。いや、前回なにやら物騒な会議があったから、あの中の若者が裏で操っていたのかも知れない。実は前回の話が僕にはチンプンカンプンだったので、もう一度録画を見直そう。

 個人的にはシンがヤキン・ドゥーエを生き残ったパイロットたちの底力を感じたところがちょっと痛快だった。いち視聴者としてはまだまだ本作より前作のキャラクターへの思い入れのほうが強いから。(笑)

 そして、やっと前作のメイン・キャラクターの残り、キラとラスクがしっかりと登場した。恐らくキラは戦闘による心的外傷が深く残っていて、その静養中ということなんだと思う。それをラスクが見守り支えているのだろうか。

 ところで前作(SEED)辺りから気になっていたこと。まあアニメといってしまえばそれまでなんだけど、モビル・スーツの宇宙空間での戦闘は、姿勢を変えたり構えたりするのはいかにもわざとらしく感じる。重力に制限されない空間では、全くポーズを変えずにスラスターで方向を変えて、砲身の基部の駆動でその向きの微調整するだけになるんではないだろうか(大気圏内でも空中戦はそうあるべきだと思っている)。つまりモビル・スーツを現代の戦闘機の様に扱う。
 だから、母艦から発進するときに最も速い巡航速度を得られる姿勢で飛び出し、目的地では宇宙空間戦に最も適した姿勢になり、あとはくるくると向き・位置を変えながら火器を使うのが合理的なんじゃないかな。格闘戦で使うはずの斧を投げたりするのは、そういう意味ではかなり無茶(だからこそ相手の意表をついて効果的)な技だ。

ぶつかり合い

 Jリーグ・J1セカンド・ステージで浦和レッズの優勝の掛かった試合。相手は名古屋グランパスエイト。
 終わってみれば1-2でレッズは負けてしまったけど、二位のガンバ大阪も負けたのでレッズの優勝が決まった。

 試合内容は、イエローカードが出まくる両チームの気持ちが前面に出た激しいぶつかり合い。そんな中で二人の退場者を出しながら勝ったグランパスは本当によくやった。ナビスコ・カップのFC東京のようだった。
 レッズはこの試合に勝って優勝を意識しすぎたのか、軽快さ・したたかさが発揮できないまま身体だけ前のめりになって空回りしてしまったみたい。その為に試合が途切れることも多くて、見ていてまどろっこしい感じもあったけど、でもその気迫は画面からすごく伝わってきた。

 先日のナビスコ・カップ決勝戦はどちらかというとクリーンで集中力のすごい試合だったけど、今日のこの試合は気迫と意地の戦いそのものだった。

2004.11.19

交流のページ復活

 このブログを始めるずっと以前は「メイン・ページ」に掲示板をつけていて、そこに日記も書いていた。でもあるときからちょっと思うところがあって外してしまい休眠状態にしていた。
 しかし、やっぱりブログのコメント欄とは違う、テーマに縛られない雑談のような場所があった方が便利かなと思うので復活させました。
 休眠直前のつらい日記などもまだそのままだけど、あまり気にせず気軽に書き込んでください。ブログがあるので日記代わりに使うことはもうありません。

2004.11.18

あと二週間と少し

 いよいよ第九演奏会の本番まで二週間と少しに迫ってきた。
 今日の練習では、今までになく張りのある声が出せた。いつもはソプラノの先生が全体のヴォイストレーニングをして下さるんだけど、先週ピンチヒッターとしてテノールの先生が来て下さり、その時に聴かせて頂いたお手本をイメージしてみたのだ。あと、今まで何年も軟口蓋に声を当てるというのがあんまり分からなかったんだけど、今日の昼間突然感覚的に分かり、出来るようになったのでそれを実践してみたのだ。気持ちよかった。
 12月5日の本番が楽しみになってきた。多くの人に聴きに来て欲しいなぁ。

2004.11.17

PDAの存在

 僕は大分古い型のハンドヘルドPCと呼ばれるPDAを気に入ってずっと使っているので、今時のパームサイズPDAのことはよく分からないのだけど、モバチキさんのところやその他で、PDAのあり方についてちょっとした議論になっているみたいだ。

 僕に現状を分析するだけの情報はないけど、PDAの普及がいまいち広がらない事についてのいちユーザーとしての考えは、モバチキさんと同様に(厳密に同じという訳ではないと思うけど)中途半端な汎用性に一因があると思う。何でも出来る事は出来るけど、でもそのどれもが専用機ほどの性能・使いやすさには及ばない(らしい)。綺麗な写真を撮りたいと思えばコンパクトなデジカメの方が上だし、普通の人(の厳密な定義は置くとして)はちょっとしたメールには携帯電話を使う。PDAよりは単なるメモ+α程度の紙の手帳の方がその人にとっては応用が利いて使い易い。
 モバチキさんの考察の元になった記事にもパソコンの普及との関係が触れられているけど、パソコンを使い続けている人は、パソコンがその目的に応えられるからこそ使い続けているのだ。ビジネスの場では、ワープロ・表計算・データベース・財務管理などそもそもパソコンに乗りやすい事柄が多いからその目的に沿って使われているし、僕が知る分野だとCGや音楽の現場でもその専用機として使われている。
 一般の人にとってはインターネット(メールを含む)と年賀状作成がそのほぼ全ての利用内容だろう。それを越える使い方をしている人は、その人自身がパソコンを活用できる趣味などを持っている場合に限られていると思う。例えば写真の好きな人がデジカメを買ったりフィルムスキャンをするようになって家庭内プリントするとか、短歌・俳句好きの人が仲間内の歌集・句集を作るとか。そういう趣味を持たない人にとっては、そもそもパソコンを使う動機がない。
(モバチキさんの提唱するエロ(笑)も、使う動機という点で趣味の一つだ)

 そう考えると、PDAというのは何かしたい人にとっては力不足で、何もしない人にはそもそも必要無いもの、と言えるんじゃないだろうか。先にも書いたとおり、携帯電話でちょっとしたメールが送受信できて、スナップ程度の写真も撮れて、テレビやラジオも視聴できるとなると、今のPDAには目的の無い人にアピールできるものが無いというのが実態じゃないかな。そういえば日立が試作した泡ブラウザーはそういう何となくの人が使うことを想定したものだったような。まああれはPDAというよりマルチメディア・ビューワーの性格が強かったけど。

 PDAを好きな人はまさにPDAを使いこなすのが好きな人なんだと思う。だからその制限ある汎用性の中で何でもやらせて使いこなすことが面白いし、食通の人が食品・料理の銘柄・店によるちょっとした違いを味わい分けること楽しく感じる様に機種の個性を見抜いて語ることが楽しいのだ。PDAに限らずそういう人は普通マニアと呼ばれる。パソコンを使って仕事をしている人、ビデオを編集している人、年賀状を作っている人はパソコンを使いこなすこと自体が目的ではないので、その趣味のマニアではあってもパソコン・マニアとは呼ばれることはない(仕事や年賀状はマニアですらなくて、パソコンに役割に応えられるだけの能力があるから使っているだけ)。だからPDAを使いこなすこと自体が目的の人はPDAマニアと言っていい(ここでマニアという言葉自体に優劣の価値はなくて、その物事を特に好いているという属性だ)。
 となると、カー・マニア以外の人でも自家用車を所持し乗るように、PDAマニア以外の人が所持し使うためには実用に耐えるだけの性能・使い易さを備えることが必要なんだと思う。この要件を果たせないうちはPDAがマニアのためのものととらえられてしまうのは仕方ないんじゃないかな。

 ところで、僕がどうして古いPDAを使い続けているかというと、キーボードがあるから、というただそれだけかも知れない(使いつづけている愛着もあるけど)。キーボードから文章を打ち込むことについての性能は、すごく快適とまではいかないけど僕にとっては十分実用になるものだ。ユーザーにアピールする要件である期待に応えられる単機能機として、キーボードを備えて文章入力をすることは、マシン・パワーの非力なPDAでも果たせるのだ。まあ、この分野も今では軽量・長時間駆動の最近のノートパソコンにすっかり食われているわけだけど…。

 話を元に戻して、PDAに普通の人にアピールできる単機能があるとしたら、その大きさや基本機能から考えてやっぱりPIMやインターネットになると思う。そしてそこには既に伝統的なアナログ手帳と最新の携帯電話がある。或いは仕事を外に持ち出すという点ではやっぱりビジネスソフトとの高度な互換性。もう一つの可能性はマルチメディア。これらが十分に実用的にならないとマニアのものという壁を越えるのは難しいんじゃないかな。
 そうでなければ、もっと違うPDAならではの存在意義が見つからないと。

一次予選最終戦

 2006ドイツ・ワールドカップ・アジア一次予選の最終戦をテレビ観戦。

 相手のシンガポールは、やろうと決めたチームの約束事を最後までしっかり実践していたと思う。だから日本の隙をついて良いチャンスもつくったし、日本の中盤からの組み立てやゴール前でのチャンスもしっかりはじき返した。
 それに対して日本は、根底にある力の差は感じさせながらもどうしても思うように試合を運べないまま終わってしまった。早い時間の玉田選手のゴールが逆に日本の集中力を失わせることになったような気がする。立ち上がりの山場を越え、いよいよチームとしての集中力が上がってきたところで得点してしまい、そもそも消化試合という位置付けの中ではそのチームとしての集中力が上昇・凝縮されることはなかった。
 それでも日本の選手個人々々は、局面においては一瞬の閃きで良いプレーを見せてくれた。シンガポールのGKが当たっていたこともありゴール・ネットは揺らせなかったけど、入っていてもおかしくないシュートも2本はあったと思う。ただ、その個人の集中力がチーム一丸となるまでには至らなかった。

 なんとかしようと必死にボールに向かっていく小笠原選手、得点のチャンスを増やそうと駆け上がる松田選手の意識と他の選手に何か違うものを僕は感じてしまった。選手一人ひとりは間違いなく一生懸命やっていたと思うけど、それでもなお何か差を感じた。どちらが良い・悪いというのではないけど、こういうちょっとした温度差があるとチームのまとまりに影響してしまうんじゃないかな。

 ところで、TBSのサッカー中継も以前に非難したテレビ朝日と同じような傾向があると思った。実況自ら評論めいた事ばかり言うな。あと、後半のプレーの最中に前半の得点シーンのリプレイは要らない!

2004.11.16

緊張体験

 第九演奏会の告知のために、地域のケーブルテレビの情報番組に出た。テレビに出て喋るなんて初めてだ。ポスターを持ってほんの数行の告知文を読むだけでもすごい緊張。良い(?)体験になった。
 僕を含めメンバー三人で出演したんだけど、誰がどこを読むのかという告知文の割り当てもその場で決まったので、撮影前に小さな声で読み直すくらいしか出来なくて本番でしっかり声が出ていたか心配。音量に関しては後で音声の人が調整してくれるそうだけど。あと、交響曲ってとても言い難かった!
 しかも何度かやり直せるのかと思ったらそうではなく、進行の流れを確認したらすぐ本番の撮影。その一回だけだった…。

 ということでわざわざ午後半休を取ったのに、そしてすごく緊張したのにあっけなく終わってしまった。ああすれば良かった、こうすれば良かったと反省半分、ホッとして肩の荷が下りた気持ち半分。

 これから一週間、朝昼晩の三回流れるそうだけど、僕はケーブルテレビに加入していないので見られない。というか見たいような見たくないような複雑な心境。でも誰かに録画してもらって借りるんだろうなぁ。

※ このブログは告知の放送が終わる一週間後以降に公開します。

2004.11.15

新日本銀行券2

 先日の野口英世に続いて、樋口一葉が我が家にやってきた。
 噂通り肖像画がちょっと怖いけど、多分原画に使われた写真があまり鮮明じゃないのでディテールを描けなかったのだと思う。かといって女性だからと真っ白にしたら偽造が楽になるのでそれなりに濃淡を付けなければならなかったりして、その妥協点がこの絵なんじゃないだろうか。
 考えてみると、以前の一万円札の顔だった聖徳太子と二千札の紫式部(裏面だけど)を除くお札の肖像画は、全部それなりにしっかりした写真が元になっていたんじゃないかな。そう考えると、使える写真が無いという厳しい条件にもかかわらず樋口一葉を採用したところにこだわりを感じる(そのこだわりが良いか悪いかは別にして)。

 この記事を書くために二千円札を改めて確認したら、野口英世のところで書いた盛り上がりのあるインクや雲母みたいな光沢などの新しい偽造防止技術が既に使われていた。地味だけど頑張ってたんだな(あるいは新札製造のテストだったのか)。

2004.11.14

ブログと日記

 ブログが何であるかははっきり言ってかなり曖昧だ。そもそもりんごとかπのような厳密な定義が存在しないのだから当然と言えば当然。そして利用者によってブログという言葉から想定されるものに幅がありすぎる感じもする。でもその主張していることをよく見ると大きく二つに分かれていると思う。

内容としてのブログ
 そもそもがWeblog(WebのLog)なのだからインターネット上に展開された記録というのが最も広い意味になるけど、さすがにこれは広すぎて本来ブログに該当しないものまで含まれてしまい適切ではない。
 ブログ発祥の欧米では一般的には個人頻繁情報発信していることがブログの条件になっているみたいだから、これらについて考えてみる。

個人
 そのウェブ・リソース(インターネット上に展開された情報・コンテンツ全般)が個人によるものであれば個人という条件は当然クリアする。でも例えばプロバイダーのブログ担当(複数人であり得る)は、その開発・メンテナンス情報をブログに載せているし、最近では企業サイトなども一部の頻繁に更新する情報をブログで管理・発信しているみたいだ。そう考えると物理的個人というより、グループや法人も含めたひとまとまりの抽象的人格と考えた方が適切かも知れない。例えば、複数人で一つのブログを運営しているグループでは、グループの共通テーマについて、その構成員(ライター)それぞれがそのブログを更新できるという同じ立場に立って書かれるから、閲覧者はどの構成員が書こうとそのグループの情報・意見という一つの尺度で受け取る。
 そういう意味では、グループ運営されてるブログでも仮にライター同士が中でディスカッションしているような所はブログとは言いづらい。飽くまでもその抽象的一人格における統一的内容であって欲しい。ちなみにコメントはまた別の話で、ここで言う統一的内容というのはライターの書いた記事そのものについてだ。また、統一的と言っても考察によって内容が変遷するのは当然のことで、それは連続性がある訳だから時期によって異なった内容・主張でも統一的と言える。ともかくある一時点においてある題目に対して分裂した意見が同時に存在するのはブログには基本的にはそぐわないと思う。そういうのは普通掲示板会議室で行われるものだ。
 紛らわしいけど、例えば一個人が複数の考えを併記しどちらか迷っているというような表現をしているのは内容が分裂しているわけではなく、ある題目について迷っているというのが一つの本題なので問題無い。また、そのブログの目的そのものが複数ライターによる多視的記述であるならそれは構わないと思う。
 しかしそうすると、本物の多重人格者が一つのブログにそれぞれの人格で書き込んだらどうなるだろう。それはそれで興味深い一個人の記録であるから、複数の人格で書かれた一つのブログということになるかな。
 ともかく(抽象的)一個人はブログを掲示板と区別するための概念として大切だ。

頻繁
 頻繁というのは運営主体によって尺度が違うだろうから厳密なことは分からない。一年に一回の更新でも内容がふさわしければブログと言えるんじゃないだろうか。それに更新が止まったものでも、ウェブ上に存在する限りそのテーマの記録ではあるから(更新の終わった)WebLogと言えると思う。

情報発信
 情報発信は僕にとっては難しい概念だ。ブログ発祥の欧米では基本的にはニュースサイトというイメージが強いようだ。そういう意味では個人的な日記はブログとは言えない。でもその人の記録という点ではLogには該当すると思うので、ここで考察している広義のブログには含めても構わないと思う。そもそもウェブに載せている時点で発信してる訳だし。ただ、それが特定の人に宛てた私信みたいなものや、閲覧者に意味の分からない独り言というのはそもそもウェブで発信する意味がないのでさすがに不適だろう。でも更に考えると、その私信や独り言を単独で取り出すと不適でも、前後の記事やその他の情報からライターの発信しているものが読み取れればやっぱりブログかな。う~ん、ブログに書く時点でライターには発信の意識はあるわけだから、この区別はあんまり意味がないかな。
 発信ではなく情報に着目すると、こっちはかなりはっきりしている。少なくとも内面の動きだけを綴ったものは情報とは言えないので、他者が追認可能な何らかの外的な事柄が含まれていなければならない事になる。ここにこだわると一部の日記はブログとは言えない。また追認可能でも例えば描いている絵の創作過程を日々貼り付けているようなものも不適になる可能性がある。創作情報(の発信)とはちょっと違うから。

 補足だけど、記述した内容のひとまとまりを指して一つの記事として扱うことを忘れてはいけない。例えばある記事に文章があり解説のための図や写真が含まれている場合、それらの個々の図や写真のデータだけを取り出してブログとは言わないはずだ。

 以上がブログを定義付ける主な概念らしいけど、さらに双方向性というのも加えた方が良いらしい。つまり閲覧者がその記事に対する何らかの反応をウェブ上に展開できるようにする。だからライターとメールで直接意見・感想を遣り取りするのはブログ的な双方向性にはあてはまらない。
 例えば、僕はここに書き込んでいて幾つかの記事にはコメントやトラックバックを許可しないことがあるけど、これはブログ的ではないということになってしまう。
 でもこの双方向性は先に挙げた概念ほどには重要ではない気もする。

機能としてのブログ
 以上のような内容・使われ方としてのブログの定義とは別に、機能という側面から考えることもできる。
 基本的にブログは情報発信であり、ライター・閲覧者間の双方向の交流を可能とするからにはコメントトラックバック機能を備えているのが望ましいのだと思う。またRSSによって更新情報を配信する機能も情報発信のひとつの実現であるので、実装している方がよりブログらしい。
 これらの発祥はよく分からないけど、こういった機能を十分に備えたサーバーインストール型ツールの元祖がMovableTypeらしいので、単純にMovableTypeとその互換ツールこそが機能としてのブログと言って構わないのかも知れない(ASP型の元祖はbloggerだそうだけど、これにどの程度現在のブログの機能が実装されていたのかは分からない)。だからアット・ニフティのココログのようにMovableTypeのASP版をサービス提供側がカスタマイズしたものもMSNスペースの様に独自に実装(多分)して互換性を実現させた(達成度はよく分からないけど)ものも当然ブログと言える。
 ここでそれぞれの機能がブログとしてどれほど重要かはなかなか論じにくいけど、基本が情報発信であり書き手と読み手の双方向性もそれなりに必要であると考えれば、その個々の記事にコメントやトラックバックを付けられることは大きな要素だと思う。そう考えると現状のはてなダイアリーは機能面では純粋なブログとしては不完全という事になってしまう(例えばカテゴリー表示させるとそこに含まれる個々の記事が表示されるけど、一緒に表示されるのはその日に付けられた全てのコメントだ。これは記事に対する双方向機能としてはかなり不便な状態だと思う。個人的にははてなダイアリーは無理にブログと名乗らずに、限りなくブログに近い高機能ウェブ日記というくくりで良いと思う)。

 以上、かなり緩い概念でブログというものを内容・機能から定義づけてみたけど、僕自身あんまりこだわっていないし最初に書いたように柔軟に考えて良いと思う。変にガチガチに縛るよりウェブ・ログと広くとらえた方が、これからもっと便利な機能が追加される可能性も高いわけだし。

 で、ブログというものについて一応定義した上でブログ日記について考えてみる。そもそも、こびと工場長さんの日記に触発されたのがこの記事を書こうと思ったきっかけ。
 以前にも書いたけど、日本では元々ウェブ日記が盛んで、それは古典文学にも日記がたくさんあるように日本人が日記を好きだからなのかも知れない。僕は欧米の日記がどうなのかは全く分からないけど(そもそも『アンネの日記』くらいしか知らないし…)、日本の日記の方が欧米に比べて内面の記述が多い(と思う)のに対し、欧米の日記は出来事の記述が主なような気がする(書き手の個人差も大きいだろうし、かなり乱暴で根拠の薄い考えだけど)。多分、欧米は議論の国なので自分の意見は意見として論文の様な形で日記とは別に表現する手段があったからじゃないかな。つまり欧米では記録意見を分けて、意見を表に出す文化が早くから発達していたと。日本では逆に古事記・日本書紀などの記録の比重が大きく意見日記として、発表する機会はあったけどプライベートに近い位置で存在していた。
 そしてブログが個人情報発信ツールとして成長する中で欧米では記録を、日本では意見(日記)を記述するものとして使われるようになったんじゃないかな。
 そう考えると、ブログが飽くまで欧米で情報発信であるのに対し、日本で日記ツールとしての比重が大きいのは単にその民族性の違いであり、どう使おうと大した問題では無い気がしてくる。
 ただ、現状のブログは日本的日記ツールとしては使いにくい面もある。例えばココログは特定の一日に書いた記事だけを一望できない。はてなダイアリーが記事を個別に扱えないのと逆だ。でもこういった機能の違いは本質的な問題ではなく、ライターが意識していればいいと思うし、機能改善の可能性も大きい。
 あんまり情報の発信にこだわり続けても内容が硬直化しそうだし、せっかく多くのブログにカテゴリー作成機能があるんだから、私的ブログについて言えば自分の関心事をどんどこ書いてカテゴリーで分類していけばいい。そうやってツールとしてのブログを応用して、日記を書いたりニュースを発信したり創作を発表して構わないと思う。飽くまでもその内容が大切なのだから。

 と言うわけで、発信者としてはブログと日記は別だから何を書かなければいけない、何を書いてはいけないとあまりこだわることなく、自分が何を書いているのかを自覚して、自分の好きなツールで発信していけば良いんじゃないかな。少なくとも僕はそうしていくつもり。気分がすぐれている限りは。(笑)

源さん、死す

 今晩の新選組!でついに源さんも死んでしまった。そしてその場での斎藤一の怒り狂って相手に切り込む迫力。ドラマが始まった当初の明るいほのぼのとした雰囲気はすっかり影をひそめて、物語が進むにつれて新選組の仲間が次々に死んでいく。
 僕には歴史の真実はわからないけど、このドラマに生きている人たち一人ひとりの日本の将来に対する思い、新選組に対する思い、近藤勇に対する思い、そういった熱い気持ちに心を動かされる。

 ドラマも残すところあと四回。近藤の斬首までは描かれるようだから、その間にも何人かの仲間が死んでしまうことになる。歴史の非情なところだ。



 本筋とは関係ないけど、今回源さんが薩長軍の鉄砲隊に打たれるところやその他の日本の映画・ドラマの銃撃戦が出てくるシーンで、着弾する側に火花と煙が出るのはおかしいと常々思っているんだけど誰も指摘しないんだろうか。

子供の時間はなぜ長い

 今晩のちびまる子ちゃんの二話目「子供の時間はなぜ長い」はとっても印象的だった。
 特に大きな展開も無い話だったんだけど、まる子がお風呂の水に見入っているところ、おばあちゃんと時間の流れについて語っているところがとても繊細だった。自分自身の子どもの頃の心象風景を見ているようだった。

再開します

 気持ちがだいぶ落ち着いてきたので、10/29以来止まっていたここの更新を再開します。
 停止中に書き溜めていた以下の記事も公開しますので良かったら読んで下さい。通常は自分のブログへのリンクは別ウィンドウにしないんだけど、このリストでは別ウィンドウで開きます。これ以外にも書き溜めているものがあるので、これから少しずつ書き上げるつもりです。


 これからもよろしくお願いします。

2004.11.13

ガスの点検

 ガス事業法に基づく3年に一度のガスの点検があった。元々は金曜日の午前中に予定されていたんだけど、普通の勤め人の一人暮らしでそれは無理なので、今日の午後に変えてもらった。

 点検内容はメーター、元栓やガス器具の調子、ガス漏れの有無などで20分弱くらい。
 せっかくの機会なので、二口あるガスコンロの片方が最近なかなか点かないことを相談したら丁寧に調べてくれて、結局、立ち消え安全装置がなかなか温まらずに装置が働いた状態(ガスが止まった状態)になってしまうと教えてくれた。ちょうど安全装置の辺りが火の出が悪いそうだ。だから故障というほどではなく、点火時にしばらくつまみを押さえてやれば良いとのこと。後は特に問題は無かった。これでひと安心だ。

 この点検のために部屋の掃除をしていたんだけど、予想通り点検が終わると飽きてきて適当なところで中断。いつになったら素晴らしく住み易い部屋になるんだろう。(笑)

2004.11.12

展覧会鑑賞

 仕事帰りに、僕がお世話になっている先生が趣味で参加しているグループの美術展を観てきた。
 そんなに上手なものばかりでもなかったけど、でも好きなものをのびのび描いている感じが伝わってきてこころが暖かくなった。

2004.11.11

おにぎり日本一!

 お昼に利用しているセブン-イレブンがおにぎりの販売でグループ日本一になったみたい。すごい、かな?
d041111.jpg

微妙…

 International High IQ SocietyというサイトでIQテストができる。全20問で、色んな図が表示されて

  • 仲間外れはどれですか。

  • 空欄に入るのはどれですか。

  • 次に来るのはどれですか。

  • 対応するのはどれですか。

というような問いに選択式で答えるだけだ。

 僕の結果は126だった。どうやら上位5%に入ったようで、「あなたは我々の仲間に入る資格を得ました。」というようなメッセージが表示された。でもそこに表示されているグラフによると126という値は5%の範囲のギリギリ底辺だ。つまりこの仲間の中では最も低い。こんなグループの中に入ったら自分のバカさ加減を今以上に思い知らされるだけに決まってる。入ってやるもんか!(笑)
(IQだけが人を測る基準ではないしね)

2004.11.08

なかなかやるな国税庁

 税を考える週間特集ページ「税を考える週間について」で仲間由紀恵さんの壁紙とスクリーンセーバーがダウンロードできるよ(期間限定?)。

2004.11.07

まいこのShade教室:第3問

 内容が簡単すぎるとちまたで賛否両論(?)のまいこのShade教室だけど、これまでのところは初心者がShadeの自由曲面の性質を理解するのに役立つ内容だと思う。
 その第3問は傘の傘の部分(笑)のモデリングだったので、まじめに解答をなぞってみた。ただし手順の最後は、中間に作ったコントロールポイントを下げるのではなく、[移動]→[特別]で中心に向けて少し移動(実際にはまとめて選んで縮小)してみた。そこに他の部品を付けてレンダリングしたものがこの画像(傘の裏側の細かい骨組みは作ってない)。
 傘の布の部分を光沢無しにした以外は表面材質は全く設定していない。こうしてみると柄の部分などShade6より光沢の品質が良くなってると改めて感じる。
 レンダリングは、Terragenで作成した普通の空を背景にしてオレンジ色の無限遠光源を加えてパストレーシング+パストレーシング。置き忘れられた傘が夕日を受けている感じが出ているかな。
d041107.jpg
(Shade7.5)

2004.11.06

新日本銀行券

 ついに僕のところにも新しいお札が来た。と言っても野口英世の千円札だけ。(笑)

 もうあちこちで色んなことが言われてるけど、実際に手に取って、新しいお札はカラーコピーや普通のプリンターでは偽造できないなぁと感心した。触ってみると両上の数字や肖像画、それ以外にもあちこちインクが盛り上がっているところがある。これなら普通のインクやトナーで再現できない。なかなか考えたものだ。もちろん透かし、雲母のような光沢、ホログラム(これは高額紙幣のみ?)なども偽造防止に役立つと思う。

 ところで、野口英世は自分が大火傷をしたのを助けられてお医者を目指し実際にそうなったんだけど、僕はこのエピソードである人を連想する。
 僕が児童センターのアルバイトをしていたときに遊びに来ていた高校生のT君。彼は白血病で、それでも僕が春に働き始めた頃はちょうど具合も良くて元気にしていた。医者にとても感謝していて、彼自身将来は医者になりたがっていた。
 でも夏休みが過ぎると入院してしまい、結局そのまま亡くなってしまった。
 彼は周りの子どもたちにも優しく接してあげていて、センターの仕事もよく手伝ってくれる本当にいい青年だった。医者になりたいと強い意志をもってしっかり勉強もしていた。なのにあっけなくこの世を去ってしまった。
 彼は結局思い半ばで亡くなったけど、精一杯生きて、本当に密度の濃い人生を送ったと思う。
 僕は今まで、彼を思い出すたびに、彼に恥ずかしくない生き方をしようと気持ちを新たにしてきた。でも最近は彼を思うこと自体が減っていた。

 でもこれからは、新しい千円札を見るたびに彼のことを思い出せる。

« 2004年10月 | トップページ | 2004年12月 »

最近の写真