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2005.03.03

きがるに書くこと

 振り返ってみると、コミュニケーション空間としてのインターネットって随分窮屈になってきたなぁ。いくらマルチメディア環境が整いつつあるとは言え、まだまだまだまだ文字表現が大部分を占めている現状では、その言葉の使い方の巧みさがこの空間で生き残る必須能力だ。どんなに悪意があろうと詭弁を張ろうと、言葉さえ巧みなら生き残れる。逆に、どんなに善良な人でもネット上にそれを表現できなければ存在を表せない(存在する権利がない)。陰で閲覧する自由しか得られない。

 相手が何を言わんとしているのか行間を読み取ろうとしなくても良い。相手の顔色や気配も感じ取る必要もない。便利だけど、そこに表されている文字表現だけで全人格を判断されてしまう。今、デジタルデバイドが問題になっているけど、単に技術的にパソコンを使える・ネットを使えるというだけでなく、更にそこでコミュニケーションするためには相当の文章表現力も要求されている訳だ。厳しい空間だな。

 そう考えると、匿名で自由にものを言える掲示板があるけど、自由とは言いながら実はかなり窮屈な場所だ。少しの間違いも許されず、かなり言葉の巧みな人だけが生き残れる場所だ。そして、この掲示板の影響力が増すにつれて(この掲示板の流儀をよそに持ち込む人が増えるにつれて)、インターネット全体が窮屈になってきたような気がする(冒頭で「窮屈になってきたなぁ」と書いたとき、以前はもっと気楽に楽しく交流していた思い出が頭にあったから「なってきた」という表現が出てきた)。

 これが今のインターネットの限界なんだろう。現実社会と比べてあまりに不完全で不自由で限定的(現実社会では、極端に反社会的でない限り誰にでも存在する権利がある)。不完全な部分を「察する」ことで補えていたのに、それも放棄されつつある。

 せめて自分のサイトやウェブログは、自分にも他の誰かにとっても柔らかく、暖かく、おおらかな空間にしたいな。

※ インターネットには元々情報共有空間としての役割があり、こちらの側面は、特に情報発信者にならない限り個人の文字表現能力は問われない。発信するかその情報を利用するかという立場には優劣の差はないから。

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